◆鎮魂◆


大事なものを失った時、よく胸にぽっかり穴が空くと言う。
私にもそう言う体験がある。
本当にそういう感覚だった。
当事者になった時、胸の中で広がるその空虚で何もない世界は
感情の暴走の果てに出来たブラックホールの様に感じた。

とても心をかけ、愛情を注いだシマリスのコタロウが亡くなった時
そのブラックホールは現れた。
コタロウはペットと言うよりは家族であった。
コタロウを失った時、私はとてもショックで
その悲しみからなかなか抜け出す事が出来ませんでした。
この状態は俗にペットロスと言われているのですが、
人間の家族を失った時の状態となんら変わりない。
よくイメージがあやふやな為に勘違いされる方がいますが、
これは自然の心の動きであって病気等ではありせん。

今落ち着いてあの時の事考えると、私がなかなか悲しみから
抜け出すことが出来なかったのは、失った時の悲しみさえも
大切な思い出として忘れたくなかったからだと思う。
最後の思い出だからと。
忘れそうになると、悲しみとワンセットの別れのシーンを
何度も心の中に再生していた。無意識の行為。
「あの子の事を忘れたく無い。」と強く思えば思うほど
悲しみから立ち直るのに時間がかかる。
つまり、「早く立ち直りたい。」と表面上は思っていたのに、
心の奥底では「悲しみから立ち直りたくない。」と思っいるのと同じ。
この相反する気持ちの激流の中で私の魂は翻弄されていました。


本当に心の底から立ち直ろうと思う様になると言う事は、
記憶が薄らいで行く事を許す事が出来ると言う事かもしれない。
時間の流れを自然に受け入れられた時に新しい生活がはじまる。

忘れる事に恐怖感や自責の念や寂しさがあった。
最近知った事だが、人は今まで見てきた事体験してきた事を
忘れたりはしないそうだ。
思い出しづらくなる事はあっても、記憶にちゃんと残っている。
でも、人が人として健康に生きていく為に思い出さない方が
良い記憶は脳が自然に封をするんだと思う。
感情の激流の吹き出し口を一つずつシールしていく様に。
そして、そうする事によってコントロール不能だった魂は
次第に鎮められ、落ち着きを取り戻して行くんだろうな。

今、私はコタロウの鮮明な記憶はもう無くて、ずいぶんと思い出も
薄らいでしまったけれど寂しいとは思いません。
私の中に一緒に過ごした全てがまんべんなく溶けていて、
今の私を構成していると思えるからです。

確かにコタロウの事を思うと、今でもホロホロと涙がこぼれるけど
辛い涙ではありません。
どういう涙だろう。なんて言ったらいいのかな?
魂が震える、そう、感動の涙に近い涙。とても暖かい涙。

天国へ 旅立った大切な者を供養する時に、安らかな心で
手を合わせる事が出来る。時間はかかったけど、ここまでこられた。
その人その人のペースで、人は歩きたい方向へ歩いて行けるんだ。


同じシマリスを飼う仲間Kさんから、ペットロスの人達が自らの体験を
話すミーティングに参加した時の話を聞いた。
心の中に渦巻く悲しみを外に一旦出して、自分自身を客観的に見る事や、
同じ様な体験をした人達に気持ちを理解してもらう事は、
とても良いことだと思う。
あまりの悲しみの深さに、自分自身でさえも
「こんなに悲しんでいるのはおかしい事ではないのか?」と
否定してしまうケースもある。
家族ですら理解する事が出来ない場合もある。
こんな時、ペットロスのミーティングに参加出来るのだったら
参加してみると何か気持ちに変化があるかもしれない。
誰かに理解してもらう事で、ずいぶん気持ちが救われるんじゃないかな。

Kさんはそこであるお坊さんと話す機会があったのだそうだ。
その方は自らもペットロスの経験があり、訳あってお坊さんになる時
ペットの為のお坊さんになろうと思い、実際新潟でペットの為に
お経をあげている。
HPもあり、訪問してみると動物を愛する気持ちに溢れている。
ペットとの別れで傷ついている人が読むと、
とても気持ちが安らぐ文章が多い。
決して商業主義では無いと思う。
動物を思う飼い主の心、そして天に召された動物の心、
その双方に真心で接しているのが伝わってくるからだ。
そのHPの名前は「ペット霊園ソウルメイト」と言う。
私はそのHPをいろんな人に知らせたいと思う様になりました。
そして、ついに私のHPからのリンクと、私の発行する同人誌で
紹介しても良いかどうかをメールで問い合わせしました。
すぐ快いお返事を頂く事が出来ました。

ペット(動物)のお坊さんの存在を、みなさんどうか
知っておいてくださいね。
HPへはこちらからどうぞ。→  「ペット霊園ソウルメイト」



2002.5.29. とうやまみなえ
   

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