My 1st YMO

 

YMOとの出会いについて熱く語るコーナーです。

あなたからのリポートもお待ちしています。

戸川さんからのリポートです。

小学校6年生の時でした。
NHK-FMから流れてきた「東風」。不思議な印象を受けました。
何気なく聞いていたので、アーティスト名はわかりませんでした。
YMOという記号を知ったのはそれからすぐ・・・
それからどっぷりはまっていきました。当時北海道には民放FMがなく、NHK-FMやフジテレビ(道内ではUHB)でオンエアされるYMOのライブや特集は必ずチェックしていました。
みなさん、覚えていますか?80年夏の「サウンドオブポップス」の特集で彼らの発言一つ一つが僕にとって重大な意味を持っていきました。音楽室の鍵盤楽器でみんなでやったセッション(といっても中学1年生ですから・・・)も思い出です。
次の衝撃は「BGM」
何じゃ、こりゃー。暗さと難しさにYMOとの決別を意識しましたが、今思えば我慢し聴き続けて良かった・・・
今では「TECHNODELIC」(ミュージックカセットの歌詞カードはNが抜けてテチョデリックになっていた)と並び皆にも勧めるベストアルバムです。
プログレにもはまり、「どうしてそんな訳のわからない音楽ばかり聴くの?」と嫁さんにもたしなめられますが、やめられないんです・・・

戸川 宗治(TOGAWA,Shuji) shuji@seagreen.ocn.ne.jp 

氏さんからのリポートです。

私はYMOAgeではありません。そして、はじめてYMOを知ったのはNHKの”ソリトンサイドB”最終回を見たときでした。
その番組の最後に緒川玉緒さんが”初めてYMOを知った人はこの怪物はなんだー、と思ったことでしょう。”(だいたいこんな感じの内容)、と言ったとおり、とてもショックを受けました。

坂本龍一については、私が小学生のとき”サザエさん”(この番組は東芝の提供でお送りいたします、ってサザエさんがいってますよね。)の間に流れる”坂本さん、昔とった映像も綺麗に見えるんです。”(確かこんな感じ)というビデオのCMで知り、また”世界の坂本”って呼ばれているのを聞いてはいたんですが、そのときはどこが世界の坂本なんだって思っていました。
細野晴臣については、”ソリトン”の中でも紹介されてましたが、DOSマガの表紙を飾っていたのを見て、その辺のおじさんだろうって思ってました。

しかし、”ソリトン”を見て、一転。「こんなすごいグループが日本にかつてあったなんてー。しかも見覚えのある、あの人たちがメンバーとは..。」、教授と細野氏の才能にも納得させられました。
これまでCDを買ったことのなかった私ですが、すぐにTowerRに足を運びました。初めて買ったのは”テクノドンLive”、やはり、”東風”、”中国女”、”ファイアークラッカー”の今まで聞いたことのないようなメロディーに感動しました。これは再生ということで、音源には聞きなれていましたが、次に買った”シールド”を聞いてびっくり。特に”中国女”の音源にはカルチャーショックでした。

今でも持ってるCDはYMOと教授only。
私の中では、いまだYMOを超えるグループは現れていません。
また、同世代の多くはYMOを知らない中で、YMOファンであることを誇りに思っています。(ちょっと言い過ぎでしょうか?)

d_takeuji@toc.cs.hiroshima-cu.ac.jp

25さんからのリポートです。

自分は今大学生なのですが、YMOにはまったのは幸か不幸か浪人中です。そのころ、ジブリ好きから安田成美の唄う「風の谷のナウシカ」にたどりつきまして「いい曲だなあーへーこの曲は久石譲じゃないんだ。細野晴臣か、覚えておこう」と思ったように思います。そのあとその人がYMOの人だとテレビかなんかで知り、「Yellow MagicOrchestra」を購入しました。今でもコンピューターゲームからファイヤークラッカーが始まったときの衝撃は忘れられません。「な、な、なんじゃこりゃあ!これはおれの求めていた音楽だあ!」とベットの上をすげえよすげえよと転げ回りました。
あまりにもはまりすぎて、受験前に封印したほどです(封印しようが逆に聴きたくて聴きたくて集中できなかったですけれども)。受ける学科も音響の研究室がある科に変えました。なんとか学校に滑り込み、それからYMOを主体としまして、いろんなジャンルの音楽を知りました。テクノポップから遡って電子音楽、現代音楽、クラシック、アンビエント、ジャズ、プログレ、ノイズ、サウンドスケープ、フォーク、歌謡曲。潜れば潜るほど、特に細野のすごさが身にしみてわかり、「YMO創るぐらいだものなあー」と、いつも思います。ちょっと古いですが、ローソンのCMで細野が出ていたとき、「なんだあのおっさんは!森高とうらやましいなあ」と思ってたんですが、このごろは「いいなあ森高。細野と共演したんだもんなあ」と逆転してしまいました。「今年の夏はモアベター」が細野へのオマージュとわかったとき、森高を見る(聴く)目が変わりました。あと、これは少しはまりすぎだと思うのですが、テクノドンライブを初めて聴いたとき、当時YMOをリアルタイムで体験した人の、再生の喜びの気持ちを考えると計り知れないものがあり、Tong Pooが始まったところでボロボロ涙がでてきました。音楽で泣いたのははじめてです。
YMOは人生までも変えてしまいました。細野が「YMOが好きならYMOが好きだった音楽を聴け」といっていますが、どんなジャンルのどんな音楽を聴いても、 自分はYMOを超える音楽体験はもうありえないのでは?と思います。でも音楽にはこんな考えを裏切って欲しいですけれども。

panel25@livedoor.com 

sinobuttiさんからのリポートです。

YMO世代ではありませんでした。
テクノの存在すら知らなかった高校生の頃、電気グルーヴのオールナイトニッポンの石野卓球とピエール滝のトークっぷりにはまり込み、毎週オールナイトニッポンを聞くうちに、放送事故じゃないです!!と言いながら卓球がかけていた90年前半のテクノ(ロッテルダムとか・・)で初めてテクノという音楽に出会いました。この、サビもイントロもない未知の世界の奇妙な音楽に猛烈な衝撃を覚え、コロンとしていてひたすら気持ちいい音色をもっと聴きたいっ!!CD売ってないかなーと思って探してみたのですが・・・当時は今ほど地方には海外の大型レコード店が普及していなかったのと、テクノの日本盤というものは皆無に等しかったため、山奥に住む高校生の私にとって海外のテクノは高嶺の花で、日本盤で簡単に手に入るテクノといえばYMOぐらいしかありませんでした。そこで、自分の聴きたいテクノとは違うんですけど・・という感じで、消極的に聴いてみたYMOだったけど、うーん、すごいよ!?なんなのこれはっ!?って感じですっかり中期、後期の魔術的な世界観に圧倒れてしまい、BGM、テクノデリックはいまでも私のベストアルバムになっています。風が吹いているんですよ。風が・・。最近ではチボマットの曲に、あっYMO中期・・って
感じの音が使われたりしていて(私の主観だけど)本当にいいものは年月が経っても古臭くて恥ずかしくて聴けない!!ということがないから偉大です。

t_shinobu@mvf.biglobe.ne.jp 

Denさんからのリポートです。

米沢市でEdit Modeというバンドをやってますデンといいます。
私がYMOを聞き出したのは高校時代、1990年頃です。
当時テレビ、ラジオを問わず”ビューン”とか”ギュロロロロ”等の音が効果音として鳴っているのが気になり、「あれはどんな機械で鳴ってるんだ?
あの譜面に表せないような音は何だ?」と楽器屋に足を運び、初めて”シンセ”というものを見て興味を持ち、店員さんに「そういう音が好きならYMOというのを聞いたら?」と言われて訳もわからずCD屋で”ソリッドステイト〜”を購入しました。
聞いて何よりもまず虜になったのはヴォコーダーの”TOKIO!”でした。
機械が喋るような、これは何だ?!という事でまたしても楽器屋に行き、ヴォコーダーの事を教えてもらい、ついでにシンセを買って夜な夜な”独りYMO”をやってました。16才の頃です。
それからはPropht-5を購入したり、知人にYMOシャツを売ってもらったり、コピーバンドをしたりという人生を歩んでます。
今は....初期もよいし、中期も、後期も、全てがベストです。
でもやはり中期は”毒”があっていいなあ、と思うデンでした。

   EDIT MODE HP URL : http://homepage2.nifty.com/editmode/ 

OBAKEさんからのリポートです。

中学生の頃、音楽室で聴いたYMO。大脳に焼き付いた瞬間...。

ドラムが好きで”つのだひろ”や”高橋ユキヒロ”を聴いていた打楽器好きな少年は、見事に構築された音楽に魅入られてしまいました。その当時は、いわゆるニューミュージック全盛期でありまして、アリス・中島みゆきなどが流行っていましたが、そんな中で「異質な音楽」「ジャンル外」といったとらわれ方がなされていた、とそんな気がします。
 日本の場合、韓国などのように歌謡界とする”一つの括り”があって、聞き手の要求より提供する側(レコード業界)の方が一方的にブームを作ってきた感がありますが、YMOの場合、商いの観点からは一線を画し、あえて拒否ベースを貫き通したように思います、いま思い起こせば。
 当時のスタンダードな中学生だった私にとって、彼らの作った七色の音群はその存在だけで十分アカデミックであり、エロティックでありました。
聴覚を通じてホルモンの分泌まで左右されたことは、おそらく初めてだったのでしょう。まさに性に目覚めると言ってもいいこの時期に、こんなモノに出会ってしまったということを素直に喜びたいものです。
 時はあっという間に去り、いまは単なる一介の会社員となりましたが、彼らYMOのお陰で、いまから面白いことがやれそうです。なぜなら、ここ近年コツコツとやってきた作曲活動を生かせる自分のバンドが誕生したからです。これもYMOのお三方、あなた方に逢えたからです。謝々

calla@ctb.ne.jp 

m-yoshieさんからのリポートです。

僕がYMOと出遭ったのは、1979年頃だったと思います。親戚の兄ちゃんが、「変わったLP」として聞いていたのが、「yellow magic orchestra」(US版じゃないやつ)でした。
とはいっても、それが「YMO」と知ったのは、もう少し後の方で、その時は「不思議な音楽」として小学4年生の自分に刻まれていただけでしたが・・・。

しかし、どうしても自分の手元にLPを置きたくて、母親にねだったのを覚えています。
確かその頃は、LPが1500円(だったかな?)ぐらいしたので、月500円のお小遣いではどうにもならなかったんですよ。

そして、やっと手に入れたのが、「solid state survivar」。それから、「public pressure」「yellow magic orchestra」と小学生らしからぬ、コレクションを楽しんでおりました。(^^)

確かこの頃、1/15成人の日にTVでロンドン公演の模様が放送されて、初めて動くYMOを見て感動した思い出がありますね。この日は、ラジオでも放送があって、自分はTVにマイクを近づけ録音し、ラジオの方は、父親に録音を頼んでました。(^^)

でも、ここで嫌な思い出が・・・。
TV放送は1時間しかなく、最後の曲「cosmic sarfin'」の途中で、吉村真理が突然「まだ、ライブの途中ですが・・・・」と、解説し始めやがったのです!
「コラー!こっちはYMO聞いてるんじゃー!話止めろー!!!!」この時、初めて「人を恨む」事を覚えましたね。(笑)

中学に入って、ようやく同じ仲間(YMO好き)が出来て、「BGM」「technodelic」「増殖」等など・・・・買いあさってました。(この頃、バイトし始めたのでお金に余裕が出てきた。)もちろん、ラヂオのチェックも忘れず、新聞で「YMO」の文字が出ていたら、必ず、エアチェックしてました。その頃、YMOのテープだけで10本はあったと思います。

しかし、中学3年の時に「君に胸キュン!」辺りから、歌謡曲路線に向かってくYMOに嫌気がさし、「散解コンサート」まで、YMOから離れてました。でも、やっぱりYMOが聞きたくて、「散解コンサート」NHK放送分は録画、この時のラジオも録音と完璧でしたね。(^^)

それからは、たまに聞くだけになってしまいましたが、昔のLPがCD化されて、今度はCD集めに奔走しました。

聞き始めてから、もう20年以上経ちましたが、今聞いても、新鮮っていうか、自分にとっての「癒し」となりつつありますね。
長々とくだらない事、書き込んでしまいスミマセン。

PS:好きな曲は「mad pierrot」と「fire cracker」です。ちなみに、着メロも「fire cracker」です。

でわ!

m-yos@mitene.or.jp

kan さんからのリポートです。

私は1967年生まれです。私が、YMOに出会ったのは中学1年の時です。皆さんの言う通り文化祭で踊ってました。
姉がテクノポリスを聞いていたのを聞いてすぐ、はまってしまいました。当時英語をおぼえたての私は坂本教授が、てぃーいーしーえいち・・・・・って言っているのが何を言っているのか分からなく何度もその部分を解析しようとして、ラジカセで聞いた覚えがあります。ラジカセは家族のがあったのですが新聞配達をしたお金をカセットテープに全部つぎ込んでしまったこともありました。
好きだったおんなの子に、YMOのテープ貸してって言われたときはこれほどYMOのファンで良かったなって思ったことはなかったです。YMOのおかげで、それから中学の2年間文通も出来ましたし、最高でしたね。某TV局でYMOのライブの放送もしたのですが当時ビデオはすごく高級品でラジカセで音を録音して何度も聞いていたのも懐かしい話です。
このときのアンコールの後のコズミックサーフィンは、でたらめな音がどんどん早くなっていって聞き取れなくなったとき高橋さんのドラムがドンって入ってくるタイミングそして曲が始まる所が、背筋が凍るくらいかっこよ
かったです。あのテープ残しておきたかったなー。
今なら永久保存できるのになー。当時の物はプロパガンダのビデオぐらいしか残ってないのが残念ですね。でも最近のブームでLDでハラーとか散会コンサートとかいろいろ出てきたので又又買っちゃいました。当然 SELFSERVICEのCD−ROMも予約して購入しちゃいましたし、レンタル屋の在庫処分で当時のライブのCD盤も手に入れちゃいましたし、やっぱり一生涯YMOのファンですね。

kandas@pop12.odn.ne.jp 

Masaaki Kambayashi さんからのリポートです。

私がYMOを知ったのは1981年、13歳のときだったろうか。

5歳年上の兄がNHK−FMから子供の日にエアチェックした「YMO in London」を聞いて一気に引き込まれてしまった。番組を録音したTDKのADのテープは、後にCD「YMO World Tour 1980」が発売されるまで何度も繰り返し聞き、現在はテープの劣化がデッキに悪影響を与えるため、再生こそしないが、宝物として残っている。
放送のオープニングは「Behind The Mask」だった。編集は現地で最初にオンエアした英国BBCだと思うが、これがまたgood! あのイントロを聴いて何の先入観もない私は、映画館のように幕が上がるステージから現れるメンバーたちを想像して感動したのだった。1曲目が終わり、たぶん細野さんだと思うが、ボコーダーを通した声で「ロンドンのみなさん、こんばんは。We are Yellow Magic Orchestra. We are from Toki.」というようなあいさつがあって「Rydeen」につながる…。ああ、何度聴いたことだろうか。
私ははっきり言って、このロンドン公演の音色が好きだ。そういう意味では「YMO World Tour 1980」のCDにもかなりの不満がある。本当はNHKに再放送してもらいたいぐらい。話は脱線するが、昔はNHKだけでなく民放も含めてエアチェックをしたくなるようなFM番組が山ほどあった。最近のFM局はこういうライブもないうえ、いけ好かないDJが平気で曲にナレーションを上掛けする、つまらない時代になったと思う。
さて、当時このテープを初めて聴いた後すぐ、「YMOのレコードを買ってきて」と兄に頼んだのはいうまでもない。兄はすぐに「SOLID STATE SURVIVOR」を買ってきてくれた。

kamba@za2.so-net.ne.jp
kan-kan@postpet.so-net.ne.jp (ポストペット専用)

Plt.rock(ぷらねっと・ろっく) さんからのリポートです。

僕は1982年に生まれた18歳男子です。
当然、リアルタイムでYMOは知りません。
僕が始めてYMOとであったのは93年に「再生」したとき、マスコミ各社がこぞって取り上げていたあの頃です。
TVから「RYDEEN」が流れてきてちょっと興味を惹いた僕は、図書館にあった「YMO MEGA MIX」を借りてきて聴きました。
正直、頭がかち割られる思いでした。
「なんじゃこりゃ!」
そう叫んだことを今でも覚えています。
そして、次の瞬間には自然に体が動き始めました。
YMO結成当時細野晴臣氏が語ったコンセプトのひとつ、「sexyなリズム→踊りださずに入られない!」というのを最初から実践していました(笑)
古いCDラジカセの音量を最大まで上げ、踊りつづけていました。
もう、親の「静かにしろ!」なんていう小言など耳の中には入ってこなかったのはいうまでもありません。

同じ図書館には「増殖」も入っていて、それを聴いたときまたショックを受けたのも覚えています。
YMOという一流の音楽に加え、スネークマンショウの放送禁止すれすれの笑いが見事に調和されたこのアルバムは、その後のぼくの笑いの間隔に深く影響を与えてくれました。

その後すべてのアルバムを手に入れたのですが、1枚1枚聴くたびに新たな衝撃を与えてくれます。
もう散開してからかれこれ20年弱経ったわけですが、未だにYMOは「未来の音楽」であり、果たしてこれが古びるときが来るのだろうか!?と怖くなっるときもあります。
過去のバンドでありながらも、明らかに現在進行形の音楽を聴かせてくれる希有のバンド。
YMOを語るなら、まさにこの一言に尽きると思います。
YMOは時間を超越し、永遠にその「黄色い魔術」で人々を魅了しつづけるバンドなのです。
現に、YMOと出会ってから7年が経過した今でも、その魔術に翻弄されてしまっているのですから。

mako4833@fine.ocn.ne.jp

希音 さんからのリポートです。

こんにちわ。1981年生まれの女子です。私最初は、YMOってガイジンだと思っていたんですよ。(未だに自分でなぜその思考にいたったのかは不明。)
ちなみにビートルズは日本人だと思ってました。(なぜ?と自分でも突っ込みたくなる程よく分からん。)でも雑誌(mcシスターで川勝正幸さんが連載していた)でクラフトワークをみて、そのときに、YMOは細野晴臣がどのこうのとちょこっとかいてあって、『え、YMOって日本人だったんだー、しかもあのローソンのCFにでてるひとじゃん。』とやっと悟ったのです。それで、クラフトワークは最初『ヨーロッパ特急』を聞いたのですが、その時はすごーく恐い思いをしたのを覚えています。(でも、電卓ですきになりましたけど。)
それからお母さんにきいたところ、3年くらいしか活動して無いという事で、きっとみんな知らないんだろうなーと思っていたのですが、TSUTAYAにいったとき、ずらーっと並んでるのをみてしまったのです。
やはりファーストからという事で『YELLOW MAGIC ORCHESTRAを借りて帰ったのですが、、、、すごかった。
全然聞いた事のない音楽なんだもん。特にファイヤークラッカー、中国女、東風の三曲にしびれてしまいました。
それからというもの、80年代のテクノポップを漁りまくる日々。(こんな18歳って珍しいもんなの?だれかおしえて!!)
いまはプラスチックス、立花ハジメさんが大大大好き。(はじめさんってすっごいかっこよくありません?ちょい芥川龍之介に似てるかも。)バンビ、すっごい欲しいのに廃盤!!だれかSHI-SHONENやEXみたいに復刻してー!と、いうことで、こんなかんじでわたしのMY1stYMOを終わりにしたいと思います。
このHPではプラスチックス工事中ですけど、開設されたら絶対書き込みとかしたいなーとおもいます。
また、プラスチックスやハジメさんについて何か情報をお持ちの方、メイルください。
quion@a4.shes.net  まで。
それではさようなら。

quion@a4.shes.net 

白土晃さんからのリポートです。

私は1978年生まれということもあって勿論YMOをリアルタイムに聞いてる世代ではないんですが、兄がある程度YMOを知っていたんで、中学の頃に兄貴に薦められて「Complete Service」を買って聞きました。
しかしその当時はなんか歌詞の意味がわからなかったりしたのもあったし、とっつきにくかったのであまりいいとは思えませんでした。
しかし、それからしばらくしたある日、何気なく見ていたテレビ埼玉の音楽番組でたまたま「Firecracker」のミュージッククリップが流れていたんです。あの1stアルバムのジャケットともリンクする奇怪なイメージに東洋風の旋律がマッチした状態がいたく気に入って、1stアルバムを買ったというのが私とYMOの出会いです。
その後、二番目に私が買ったアルバムが「Technoderic」だったんですが、そのインパクトの強さに最初は拒否反応を起こしてしまいました。しかし、聞いていくうちにその音の深さにのめりこみ、私の中学時代はYMOに支配されていました(他にもP-MODELなども聞いていましたが)。

http://www67.tcup.com/6714/siratoakira.html 

山ちゃん からのリポートです。

僕とYMOとの出会いは、確かつい最近です。
テレビを何気なく見ていたら、YMOのRYDEENがかかってまして。
勿論その頃はYMOなんて名前すら知らなかったです。
けど、そのRYDEENを聞いて全ては始まりました。
「この電子オルガンの音かな?面白いなぁ。歌も無いのか。・・・リズムいいな〜」
それが最初の感想。そしてその後素早く母に「あのグループなんて言うの?」と聞きました。
そこで出てきたのが・・・当然YMOでした。それからです。
その後、ビデオ・CDレンタルショップに行ったんです。
当然の如くYMOを探したけど、無かったんですね。残念でした。
けどそのまたしばらく後、CD屋に行ったんです。
やっぱりYMOを探してました。そしてコーナーを発見。
そして見付けたのが、まだ最近の「YMO GO HOME!」なるアルバムでした。
もう早速買おうと思ったのですが、いかんせん小学六年。金がありません。確か3000円くらいしました。
そこで、貯金を叩いて買おうかどうか悩んでいると、母のこの一言。
「私が買おうか?」
僕「・・・ごめん。そうして。」
そしてついに手に入れたこのアルバム。毎晩聞いてます。
なかでも、最近は「TONG POO」が気に入ってます。
それから、またアルバムを探そうと思ってます。
聞いた事の無い曲が入っている奴を。・・・ってそんなのは一杯有りますが(笑)
けどやっぱり、僕が思うのは「これが流行っている頃に生まれたかった」です。

それでも、子供なりに楽しんでます。あのRYDEENを初めて聞いた時の衝撃は、忘れられません。

y-fumiya < y-fumiya@kobe-catv.ne.jp >
http://members.tripod.co.jp/yamatyan/index.html  

makura HONAMIさんからのリポートです。

僕とYMOの初めての出会いはですね、幼稚園時代(もっと前かも)です。
父と車で出かける時に、『Solid State Surviver(アルバム)』がよくかかっていたんです。
ただ、当時は何にもわかんない頃ですから(笑)、潜在的に擦り込まれてたのかな〜。というくらいです。
当時と今に共通していえる(と思う)のは、『Solid〜(曲)』のリード(Prophet 5でしたよね)の音色が妙に心地よいと感じるところでしょうか。

2度目の出会いですが、小学校5年時に学年でキャンプがありました。
「(その日の)夜に、みんなで踊りを踊るんだ。」と(先生に)言われて、その課題曲(笑)が『Rydeen』だったんです。
なんでも、「僕たちは若い頃に、この曲で踊ったんだ」そうです。
・・・今考えてみると、竹の子の人だったんでしょうかねぇ(笑)?
(後にTVで見た『竹の子の方々』の踊りが、僕たちの踊ったそれとそっくりだった時は、かなりの衝撃でした(笑)。)

さて、踊る曲の発表時に「なんか聴いたことある曲だなぁ」と、思った僕は、周りの反応を見たのですが、どうやら誰一人として知っていそうにない。
家に帰った僕は父に聞いてみるのでした。
 僕:「あのさぁ?ちゃ〜ちゃ〜ちゃ〜♪って曲知らない?」
 父:「ああ、ライディーンじゃんか」
 僕:「らいじーん?(雷神の意)」
 父:「馬鹿、ライディーンだよ」
 僕:「ライディーン?何だっけ?」
父は『Solid〜』(カセット)を取り出して、デッキに入れたのでした。
当時はまだ『(ヘンタイでなく)とっても良い子』だった僕は、『Rydeen』を何度もリピートして、踊りの練習をしていました。(これも擦り込みなのかは疑問ですが)

さて、ここではじめて『Yellow Magic Orchestra』もしくは『Y.M.O.』というキーワードを手に入れた僕ですが、その後はまったく発展無し。
と、いうよりも中学に入ると大体若者独自の音楽文化(大抵つまらない)に染まっていくんですよね。僕も普通に(順調に?)その道を歩んでいく所でした。
・・・が、ちょうど半歩くらい踏み出しかけた時に『テクノ』という僕にとっては新しい(であろう)キーワードを『電気グルーヴ』のオールナイトニッポンで知ることになったのです。
(余談ですが、僕の世代の人間が『(広い意味での)テクノ』を聴き始めたきっかけの、7〜9割は確実に『電気』がらみでしょうね)

時は、日本における(以前の物とは違う意味での)テクノ前夜。
そして、さらにそのいい時期に3度目の出会い。そう、再生YMO。
ここまで条件がそろえば、人間、サルにもなろうってものです。

思えば、僕が給料の6、7割をCD購入に当てるようになったきっかけは、ここにあったのでしょうか。
今ではいろんな種類の音楽を聴くようになりました。(70〜80年代が大半を占めてますが)
もちろん今でも一番はYMOなんですけどね(笑)。

「リアルタイムに生まられたらよかったのになぁ」なんて、思うこともよくあります。
ただ、すべての音楽を並列(YMOの初期後期通してという意味でもそうです
が)に聴くことができる世代に生まれたからこそ、逆にYMOを楽しめているのかもしれないなぁ。とも感じます。

makura HONAMI for Cyber-R
http://www.dcn.ne.jp/~cyber/mak/
mailto: mak@po.dcn.ne.jp 

投稿募集中です。

あなたのYMOとの出会いについてリポートをお願いします。なぜあなたがYMOのファンになったのか、なぜ今も追いかけているのか。あなたのYMOへのい思いをつづって見てください。お待ちしています。

宛先は metapop@yabumi.com までお願いします。

 

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